新年最初の更新がこんな話ですみません…
ここも本館も日記的なコンテンツを置いていないので、これを書くことにとても迷いがありました。が、何らかの形で記録を残した方がいいのかと思い、発災から1ヶ月近く経って少し落ち着いてきた今、この文章を打っています。
この記事は地震発生から6日目くらいまでの被災体験を記したものです。この時点でもうダメだと思ったら今すぐこのページを閉じてください。かなり長いので心にも時間にも余裕がある時に読んでください。
はじめに
能登ってこんなところ
縦に長い石川県は、↓の引用ツイートの画像にある通り、北部(能登)と南部(加賀)に分けられます。天気予報ではここから更に「加賀北部」「加賀南部」「能登北部」「能登南部」の4つに区分されます。
このうち能登北部の輪島市・珠洲市・穴水町・能登町をまとめて「奥能登」と呼ぶことが多いです。能登南部は七尾市・中能登町エリアを「中能登」、羽咋市・志賀町・宝達志水町エリアは「口能登」と呼ぶこともありますが、奥能登と比べるとあまり使われない感もあります。
永井豪先生の出身地である輪島市や、「君は放課後インソムニア」の聖地巡礼地である七尾市あたりは知ってる人も多いのかな。変化球系だと、スズトウシャドウ印刷で珠洲市を知ったという同人erもいるかもですね。
能登の里山里海は2011年に世界農業遺産に認定されましたが、言い換えるとそれだけド田舎ってことです。笑えない。また能登は65歳以上が人口の4割程を占める自治体が圧倒的に多く、これが今回の地震で2次避難や被災者支援がなかなか進まない一要因にもなっています。
能登のインフラについて
- 都市ガスはなく、ほとんどがプロパンガス(2007年の能登半島地震後にオール電化にした家もある)
- 穴水から北にはバス以外に公共交通機関がない(のと鉄道は輪島線・能登線とも20年前に廃線)
- 北に行けば行くほど山道が増える(すれ違いも難しい道路が多い)
- 能登の主要幹線道路である、のと里山街道&能越道・R249・珠洲道路・県道1号のうち、里山&能越とR249が潰されると詰む(ぶっちゃけ片方だけでも8割方詰む)
- 自治体によって下水道の整備状況が異なる(下水道が無い所では浄化槽を各家庭で設置)
2024.1.1(本震発生当日)
実は最初の最大震度5強の地震が発生する10分ほど前まで昼寝してました…。
今思えばゾッとするのだけど、よくよく思い返してみれば東日本大震災の時(※体調不良で横になっていた)も、2007年の能登半島地震の時も、阪神淡路大震災の時ですらも寝ていた自分。我ながらよく生還できてるなと…
起きてしばらくボケっとしてると緊急地震速報が鳴ったので急いで茶の間へ。猫を含めた家族全員の無事を確認してホッとしたその時、緊急地震速報と同時にこれまで経験したことのない激しい揺れが。全員ダッシュで外に出るが、私だけ靴を履かないまま出てしまった上に、激しい揺れに煽られて膝から転倒。揺れが収まるまで立てず、四つん這いで建物から離れる。家はなんとか建ってはいるが、基礎部分にダメージが入ってしまっているらしい。志賀町で震度7、という目を疑うような情報に呆然とする。
慌てて出てきてしまったため、家に猫を置き去りにしていることに気づき呼びかけてみるものの、超絶ビビリなので出てくる気配がない。そうこうしているうちに大津波警報が発令された為、一旦防寒具と貴重品だけを持って、猫はやむなくそのままにし、すぐ出せる場所に停めてあった母の車に乗り込んで全員高台へ避難。
しかし家の近くの作業場が気になる父、弟を連れて一旦家へ戻る。本来、津波警報が発令されている時にこういう行動を取るのはアウト(東日本大震災で津波による犠牲者が爆増した理由がまさにこれ)なのですが、家に残してきた猫を探してきたいという気持ちも強かったようだ。数十分後、無事に猫を保護したとの連絡。部屋の奥の窓際で恐怖に怯えながら縮こまっていたらしい。ケージに収容して一時避難場所へ戻ってきた。家に戻るついでに毛布類と、猫を病院に連れて行く時に一緒に持っていく猫用グッズ(おやつとかおしっこシートとかタオルとかを入れている)と、倉庫に停めてあった父の車を引っ張ってきていた。父の車にはUSBソケットがついていたので、バッテリー残量が心許なかったiPhoneを充電。避難時にケーブルを携行しておいて良かったと思った瞬間だった。
この時点で時刻は午後6時過ぎ。金沢港に津波の第一波が到達していた頃だったと思うのだけど、それよりも早く到達しているはずの七尾港や輪島の観測データがさっぱり入って来ない。その間にも緊急地震速報は立て続けに鳴っているし、常に揺れている感覚すらある。しかも停電で高台下は真っ暗。ただ一時避難場所の街灯はついていたので、この一帯では停電はしていなかったような気がする。
午後6時半ごろになって、ようやく一時避難場所の管理施設が開放される。お腹が痛かったのでトイレを借りるも、断水で流せない。施設のスタッフに聞くと、排泄物はそのままでいいので拭いた紙だけ別のゴミ袋に入れてくれとのことで、その通りにする。こんな時に大きい方でほんとすいません…と平謝りするしかなかった。
しばらくそこに待機していたのだが、家の最寄りの指定避難所でもあるコミセンが施設を開放したとのこと。そこは停電しておらず、暖房もあるからここにいるよりはマシだろう…ということで、そちらに身を寄せることに。ペット連れの家族専用の部屋がちゃんと用意されてて、そこへ無事入ることが出来たのは本当ラッキーだった。近所に住んでいる従兄弟もウサギと一緒に避難してきた。しかし飼い主と一緒にいれる部屋に入れたとはいえ、ウサギや猫からすれば、わんこしかいない部屋はさぞ恐かったろうなあ…
午後8時を回ったぐらいの頃に、備蓄と思われるアルファ米カレーが温められた状態で避難者に1個ずつ配られる。スプーンはなかったので袋を少し切り、そこから少しずつ押し出しながら食べたが、食欲があまりにもなさすぎて全部は食べきれず。水分は各部屋に2Lのペットボトルの水が何本か配備されていたが、これとは別に家族分のお茶を1本ずつ確保(避難所の近くに自販機が1台あった)。
午後9時を過ぎた頃に、人数分のシュラフと簡易マットレス的なものが配布される。これを敷布団代りにして横になってはみる。しかし短い間隔で余震が来るので眠れる訳がなく、その日の睡眠時間は3時間。ナポレオンか。
大津波警報は日付が変わった頃辺りで津波警報になり、いつの間にか津波注意報にまで引き下げられていた。
2024.1.2
朝9時頃に朝食のおにぎりが配られる。古米だったので味は…だったけど、そんなことを言っていられる状況じゃないので有難く頂いた。それと同じくして、今まで停電していなかった避難所周辺エリアが突如停電。それと同時に携帯の電波も軒並み死ぬ。ただそんな中でも通話や通信を使えてた人がいたので、恐らくauだけは辛うじて電波が生きていたんじゃないかと思われる。ドコモ、他社よりも基本料金バカ高いんだからこういう時ほどちゃんと仕事してくれよ…
同じ頃、のと里山海道で孤立していた人たちが避難所に。地震で道路が陥没してしまって孤立状態になり、やむなく車を置いてSAまで避難して夜を明かしたっぽい。後に道路上の車を順番に下道に下ろすとのことで、関係者が車の所有者を定期的に探しに来ていた。
10時半前くらいに緊急地震速報。電波が死んでてもエリアメールはちゃんと受信するようだ(ただし鳴ったのが揺れよりも後)。それよりも前、男衆が一旦家に戻るとのことで、ついでに私の愛車を持って来てもらうことに。USBポートがついているので充電がてら情報収集。津波注意報は午前10時で解除になっていた。
午後、家の近くの集会所に自主避難をすることに。発電機を持ち込めば明かりも確保できるし、石油ストーブが2台あるから今現在停電でエアコンが動かないここ(指定避難所)よりは暖を取りやすいだろうと。集会所に移動して、その時に集まっていた人たちで家の冷蔵庫にあったものを各々持ち寄って腹ごしらえ。我が家は元日夜に焼肉をする予定で買ってあった肉を持ち込んで、集会所にあったフライパンで焼いてプチ焼肉パにしてもらった。避難所ではこの日も炊き出しで配られたのがおにぎりと漬物くらいだった事を思うと、自主避難所でありながらも発災2日目で温かい食事、それも炭水化物以外のものを食べられたのは奇跡だったと思う。
その日は我が家も含めた近所の人たち20人程度が集会所に避難してきた。しかし高齢者が多かったため、トイレ後に水を流す程度の介助は大半の避難者で必要だった。
この日から週末までここで寝泊まりすることに。
2024.1.3
自分はこの日が仕事始めなのだが、本来なら2日が初売りのはずの職場がその日誰もいなかったと聞いていたので、誰もいなければ引き返すつもりでとりあえず出勤。
建物の外観に目立った損傷はなかったが、去年末から稼働していた蓄電池が半分くらい土台から外れて倒れていた。看板が立っている所はコンクリが盛り上がり、駐車場には所々亀裂が入っていた。正面駐車場側にあった廃屋は全壊していた。この廃屋を寝床にしていた野良ニャンコがいたはずなのだがどうしただろう…
中に入るとそこには凄惨な光景が。飲料や洗剤のボトルが散乱しまくっている。割れて中身が溢れまくっている酒類のエリアと、ナノッ⚪︎スが何本か破損して溢れていた衣料洗剤エリアは溢れた液体で床がベッタベタに。化粧品エリアは落下して型崩れしたパウダーファンデのテスターの粉で汚れている。基礎部分がやられているのか、床もいくつか隆起していたり割れかかっている場所もあり、特に通行に危険なエリアは仮営業を始めるタイミングで一時的に閉鎖した。冷ケースは洋日配エリアからアイスエリアまでの間が後方に傾いていてメンテナンス性が大きく低下。ただ停電していなかったおかげで冷凍食品とアイスの廃棄率が少なかったことは不幸中の幸いだったとマジで思う。しかし後日応急危険度判定で「要注意」の紙が貼られた程には被害が大きいので、作業中に緊急地震速報が鳴ったら猛ダッシュで建物外に避難。
この日出勤できたスタッフは私含めて3人。ただ本社社員や設備スタッフなど約20人近くが復旧作業に駆けつけてくれたので、明日にはとりあえず仮営業には漕ぎ着けられそうなところまでなんとか片付いた。
なお職場周辺では辛うじて電波は生きていたので、休憩時間に入ったタイミングでまずTwitterに生存報告。業務終了後に帰宅したタイミングで自宅周辺の電気が復旧。同じタイミングで電波も復活していたので各種SNSでも生存報告。ちなみにドコモは1/2より災害時データ無制限モードが発動したが、ギガライトの場合は契約プランのデータ容量分を使い切ってからの適用らしいと知って「こんな時まで殿様商売なのかよ」とモヤる。ドコモェ…
2024.1.4
昨日とほぼ同じメンバーが揃う。引き続き仮営業に向けて作業。
とりあえず店内の至る所が埃ですごいので掃除機をかけていると、10時を回ったところで「営業開始しま〜す!」と決まり慌てて準備する羽目に。仮に店を開けたとしても時短営業だろうと店舗スタッフ全員そう思っていたのだが、閉店時間は平常通り午後10時までと聞かされて全員宇宙猫状態に。「我々フル勤になるんですけど、いつも通りに2時間休憩取れますかねぇ…」と言ってきた社員2人があまりにも気の毒すぎたのは言うまでもなく。
前日朝に納品されていたヤマザキのパンを陳列し、11時前から営業開始。飛ぶように売れていたのは水をはじめとした2L飲料のケース、使い捨ての食器類、市指定の可燃物用ゴミ袋、ドライシャンプー。特にドライシャンプーは全域で断水している影響で需要が高く、少ない在庫をかき集めて作ったドライシャンプーの特設売場は、個数制限を厳しくしていたにも関わらず概ね2時間くらいでミニサイズ含めてほぼ完売。使い捨て食器類は1時間足らずで売場が空になった。水は1世帯1ケース限りと制限をつけていたのだが、在庫に余裕が出てきた2日後に制限を解除。
休憩室も壁が浮いていて危険だったのと、この頃は職場近くのガソリンスタンドも開いていたりいなかったりで、車内で暖をとりながらの食事も厳しかったため、昼休憩時は集会所まで戻っていた。この日はお昼に温かいうどんを出していて、私の分も取り分けてもらったので有難く頂戴した。
業務終了後、自宅確保分に水やらウェットティッシュやら必要なものを買い込んで集会所へ戻る。猫がいることを考慮し、この日から他の避難者とは別の部屋で寝泊まりすることに。
2024.1.5
なぜか朝の4時に起床してしまう。
予報で晴れとなっていたこの日だけ特別に希望休をもらい、避難してから全く出入り出来なかった自宅へ。約4日振りに自室へ入る。大津波警報で高台へ避難する際に、防寒着と貴重品&最低限必要になりそうなものを取りに一度入っているが、その時は逃げる事で精一杯で被害状況を確認する場合じゃなかったので、この日初めて被害状況を確認した。
確認できたものを箇条書きしてみる。
- 天板を折り畳められる方のデスクの裏面が外れていた
- 廻り縁が一部剥離していた
- 壁紙も一部破れかけていたり、場所によっては石膏ボードが擦れた後の白い粉が付着(特に寝具)
- ファンシーケースと上着掛けがロフトベッドに寄りかかる形で倒れていた
- 激しい揺れにより飲みかけのココアが広範囲に飛び散っていた
あとは本棚から本という本がほぼ全て床に散乱。しかも一部は地震で開いた窓から飛び出していたらしい。しかしこんな状況下だったにも関わらず、耐震ジェルで固定していたiMacは微動だにせず堂々と立っていました。あれだけ物が散乱したにも関わらず、外傷らしい外傷もなし。更に言うと、全く耐震対策をしていなかった周辺機器類やPS3本体、PS3で使っているディスプレイ、洋服ダンス、iMacとPS3を置いていた2台のデスクが元の場所から少しも動いていなかったのは不幸中の幸いでした。全部無事ではないだろうな、と思っていたので。
自室の片付けはまず散らばっている本だけでも回収しない事には何も進められないので、この日の最低目標を本と画材の全回収として作業開始。ただこの日は風が強かったので、地震の揺れなのか風による揺れなのか分かりにくかったため、常に弱く揺れているような感覚がした。散らばっていた本をなんとか全回収したものの、職場からもらって来た箱のストックが尽きてしまい、本棚に残っていた本を回収できず。
画材は直前まで乾燥作業中だったので開いたまんまだった透明水彩のパレットが、ココアが飛び散っていたけど原型はしっかり留めていたので、水で拭えばなんとかなりそうだった。あの揺れだともしかしたら割れているのではなかろうか…と思われていた、リキテックスリキッドやドクターマーチンのボンベイの瓶は1つも割れていなかった。奇跡。
この日のお昼は指定避難所から送られてきたカレー。当日、あちらでは(おそらく自衛隊による)カレーの炊き出しがあったらしく、それを集会所の避難者にも割り当ててくれたようだった。これが超絶美味しかった…。
日没のタイミングで集会所へ。ただ父と弟は猫とともに自宅へ留まる事に。
2024.1.6
早朝にエリアメールで叩き起こされる。どうしていっつもいっつも外が暗い時にばかり揺れるのか…
職場は前日から生鮮物等の通常配送が再開されたため、店内はまだガタガタなのにも関わらず、完全に通常営業に戻っている。むしろ「通常体制に無理くり戻された」と言った方が正しい気もする。この日の夕方、従業員用として仮設トイレが2基設置される(後日追加で3基設置)。
業務終了して帰宅すると、また自宅周辺でドコモの電波が死んでいた…
この頃までには親族を頼って他の場所へ避難する人が多くなり、集会所に寝泊まりする人がかなり減った。寝泊まりまではしないが食事だけはここでするという人も徐々に減る。この日集会所に泊まるのは我が家だけになったので、明日以降は茶の間と台所だけは片付けて最低限の生活スペースはなんとか確保した自宅へ戻る事になった。
不幸中の幸いだったこと
- 正月で家族全員自宅にいたので安否確認が即座にできたこと
- 地震発生時に雨や雪が降っていなかったので速やかに避難できたこと。例年だと正月はほとんど雪で、数cm程は積雪があるのだが、今年は積雪もほとんどなかった
- スーパーなどが休みになるので、その分食材を多めに買い込んでいたこと
- 停電で冷蔵・冷凍庫が機能停止したものの、寒かったのでそこまで痛みにくかったこと
- 最初の夜を過ごした指定避難所が、体育館以外のフロアほぼ全てに暖房設置&畳かカーペットを必ず敷いていたので、冷たい床で寝ずに済んだこと
- 灯油の備蓄があったこと(自宅へ戻った時の話)
- 倉庫のタンクにある程度雨水を溜められるようにしてあったため、生活用水として使う事ができた(飲用不可)
- ご近所さんが山から水を引いていたので、そこから洗い物用として水をもらえた(飲用不可)
- 発電機があったので停電中でも灯りをつけられた事(停電中に集会所へ移った時の話)
- 必要なものは自分の職場である程度買い揃える事ができた
- 実は予定よりも2日早く月経が来てしまったのだが、普段から生理用品を多めに備蓄しているため、急な月経にも余裕を持って対応出来た(それでも断水が長期化することを考えて後日買い足した)
- iMacを耐震ジェルで固定していたこと。ガラスユニットの交換費用めちゃくちゃ高いので…
あまりよくなかったこと&次に活かしたいこと
ドコモが2回も圏外になってしまったこと
家族全員、ドコモ以外の通信キャリアと契約していなかったので、2日間ほど音信不通になる期間が2回も発生してしまったのは痛かったです。
因みに地震発生からおよそ12時間後、停電と同時に全キャリア圏外になってしまったのですが、そんな中でも通信と通話ができた人が一定数いました。能登はどちらかと言うとauの基地局の方がドコモよりもやや多い傾向にあるので、電波が使えた人はおそらくKDDI系キャリアなのではと思われます。
うちに限らず他の自治体、特に奥能登ではKDDI系回線が比較的復旧が早かったようなので、なんらかの形でKDDI系の回線は用意すべきだと感じました。…ソフトバンク? 知らない子ですねぇ…
服用中の薬を持ち出さずに避難してしまった
特に、基礎疾患持ちの家族が服用する薬を持たずに避難してしまったので、これは非常にまずいなと思いました。最低1週間分くらいはお薬手帳とセットで常に持ち歩いてもらおうと思いました。
あと私の場合は内服だけでなく皮膚科の外用薬すら持ち出さずに避難してしまったのでもっとダメでした。
スマホを充電できる環境がきちんと整っていなかった
避難する時にケーブルは持ち出したものの、肝心のアダプタを持ってこなかったため、充電できる環境を整えていた自分の車を持って来てもらうまで、何も出来なくて詰みました。
車で充電出来なかった時の事も考えて、最低限スマホ用の充電ケーブル(あらゆる可能性を考慮して最低でも1.5mはあった方がいい)とアダプタは1個ずつ持ち歩く方が良いなと思い、現在セットで持ち歩いてます。これに加えて、iPad用とスマートウォッチ用も持ち歩いてます。
地震で窓が開いてしまっていないかを確認していなかった
と言うのも、地震の強い揺れで鍵がかかっていた窓が開いてしまっていた所がいくつかあったから。
防犯的な理由はもとより、うちの猫が隙あらば外に出てしまう脱走常習犯なので…。実は避難先より戻ってきてから既に2回脱走しています。しかも夜に。orz
今回の地震では、本震の際に家から飛び出してしまって行方不明になったり、うちの猫みたいに避難所から戻ってきた後に地震で開いてしまった窓から脱走してしまったっていうケースがかなり多いので、全国の猫の下僕の皆々様におかれましては、避難所から戻ってきた際には窓が開いてしまっていないかご確認を。そしてねこをしまえ。
因みにうちの猫は1日以内に無事帰ってきました。超絶ビビリなので家周辺から動けなかったのかも。
用意しておいて良かったもの(主に女子向け)
※若干センシティブな内容も含みますが、もしかしたら誰かの役に立つかもしれないので隠さず書きます
ショーツタイプの生理用ナプキン
本来は特に経血量が多い日の夜に使うものですが、特に夜専用というわけではなく、昼でも使えます。装着の際にボトムズを脱がないといけない(脱ぐ時は両側面を破って脱ぐ)という欠点はあるものの、断水で洗濯できない状況下ではかなり重宝します。ナプキンやサニタリーショーツとともに、災害用リュックに忍ばせておくと良いです。
ちなみに私は12時間を超えて交換できないケースを想定し、本来の使い方ではありませんが量の多い2〜3日目はこれに夜用ナプキンを重ねて履いてました。
タンポン・月経カップはやめておけ
災害時にタンポンや月経カップを用いるのは、衛生上の問題や様々な環境変化による体調の変化で、トキシックショック症候群(TSS)を発症する可能性が平常と比べて高くなりやすいと想定される事と、TSS発症時に産婦人科への早期受診が困難な場合がある事を考慮すると、これらは災害時に用いるべきではありません。
ただこのページのお勧め衛生用品にタンポンが入っているのが非常にモヤっとしますね。衛生面でのトラブルが出やすい災害時ではハイリスクでしかないんですけど…
パンティライナー
パンティライナーも同様に、断水などで洗濯が出来ない時に重宝します。特に、オリモノと水分の両方に対応した吸水ライナーがあればもっと便利です。デリケートゾーン用ウェットシートと吸水ショーツも用意しておくと完璧。
メガネ
ソフト・ハード関わらず、普段からコンタクトレンズを装用している人は必須です。
断水で水が出なくて手指消毒がままならない場合、洗浄はおろか、清潔な手でレンズを扱うこと自体難しくなります。災害時は総じて衛生面が悪化しやすくなるので、避難の際にはコンタクトレンズを外して眼鏡に変えましょう。そうでなくても、何らかのトラブルが発生してレンズを装用出来なくなった時に備えて、コンタクトレンズと同じ度数のメガネも作るのが普通です。度数の合わないメガネをかけたところで1ミリとも使い物になりませんので。
なお普段から眼鏡の人の場合も、災害に限らず何らかのトラブルで眼鏡が破損して使えなくなった場合に備えて、いつも使っているメガネと全く同じ度数のものをもう1つ作り、いつでも取り出せる場所に保管しておくのをお勧めします。常時持ち歩くと尚良し。
お風呂セット
断水でお風呂が使えず、自衛隊の入浴支援や民間の入浴施設に行く場合には必須になります。
自衛隊の入浴支援の場合だと、シャンプーとボディソープは大体置いてありますし、その他生理用品などは利用者が自由に使えるようにいくつか用意してあったりしますが、それでも数に限りがあります。また洗顔料・メーク落とし・タオル類は基本的に置いていないので、利用の際には持参しないといけません。
また、いつも使っているシャンプー&トリートメントじゃないとダメな方は、小さいボトルに中身を詰めるなどして持参するのをお勧めします。中価格帯のブランドでは1回分のパウチが商品ラインナップにある事が多いので、それを使うのも手です。なお洗顔料・メーク落としに関しては、W洗顔不要を謳うクレンジングバームがあると便利です。
iPad Air + Apple Pencil + Magic Keyboard(Mac用)+ Bluetoothマウス
…これがなかったら今こんな記事を書いていない。以上!(ぉ)
伝えたいこと
今は能登半島には来ないで!(最低でもGWまでは待ってほしい)
noteに、この状況で君ソム聖地巡礼で七尾へ行こうとしているお馬鹿さんがいたので言葉キツめに書きます。
今は観光目的では能登半島に来るな。
石川で旅行をしたいなら、今は金沢まででお願いします。そもそもあっち(加賀)が元気じゃないと能登も元気にならないので…。能登がある程度元気になったら、その時はぜひ能登へ観光に来てください。
なお、北陸新幹線の敦賀延伸に併せて3/16から北陸応援割がスタートしますが、出来ればまずは加賀での観光に利用してください。また石川県のみGW終了後に第2弾を実施予定との事なので、能登の観光で応援割を使うのはその後でも遅くないと思います。そもそも能登の各旅館は営業再開すらできてないところが圧倒的多数なので…
道路インフラをもっとちゃんと整備して
これは行政(特に道路公社と国交省)へのお願いですかね。というかクレームですけど。
今回、主要幹線道路のほぼ全てで通行不能区間が出て、特に輪島市・能登町・珠洲市は完全に詰みだったんですよね。しかものと里山海道に至っては、前回(2007年)の能登半島地震で崩落した盛り土区間は盛り土を強化して復旧させてるんですが、今回も盛り土区間でまた崩落していました。前回の地震で崩落して、後に強化盛り土で復旧した区間は今回ほぼ無事だったらしいのですが、だったら何で他の所もあの時に一緒に強化しなかったんです?
…ていうか前回の教訓、本当にちゃんと活かされてるんですか…?
正直、里山とR249両方潰されたら、奥能登だけでなく、のと里山街道が通る自治体も間違いなく詰む(今回は全線ではなくても両方潰されたので完全に詰んだ)ので、金沢と能登を結ぶ大動脈と位置付けてるのであれば、もっとお金をかけて災害に強い道路に作り直してください。「希空」が流れる細工を施してる場合じゃないやろ
能登に住む人間にとってこの2路線はガチの生命線なので真剣にお願いします。マジで。
おわりに
地震発生から1ヶ月。「もう」1ヶ月なのか、「まだ」1ヶ月なのか、「やっと」1ヶ月なのか。
…うーん、どれも当てはまらないかもなぁ… まだ現在進行形で続いてるから。
最初の2週間ほどは、先が見えない事と余震に怯えながら過ごす長い夜とで、夜寝ていても2時間に1回の割合で中途覚醒してしまったりで、心身ともに疲弊しかけていたのですが、最近になってようやくおやつを食べる余裕が戻って来ました。そして今、少しずつではありますが「何か描きたいな…」という気持ちも。
地震発生から半月は暗く先の見えない話ばかりでしたが、「当初は全域での復旧は4月以降と言われていた七尾市の水道が、一部を除き2ヶ月前倒しで仮復旧出来るかも」といった話や、「朝市の大火事で永井豪記念館も全焼したが、建物に耐火補強をしていたおかげで展示物はほとんど無事だった」(※下記記事参照)など、少しずつではありますが明るい話題もちらほらと見かける様になりました。
自分は被災者でありながら、生活インフラを絶やさぬ為に通常通り業務につかざるを得ない…という色んな意味でとても複雑な状態に置かれているので、1ヶ月経ったけど何も状況は変わっていない…と思っていました。ですが、実際には「当たり前の日常」へ戻るべく、少しずつ動き始めてはいるんですね…
能登に、石川県に、心を寄せてくださっている方には感謝してもしきれません。ですがまだ復興は道半ばです。発災から1ヶ月経ってようやくスタートラインに立てた、というのが正しいと思います。能登はいわば僻地にあたる地域なので、1年では絶対元通りにはなりません。2007年の能登半島地震の時よりも更に長いスパンでの支援が必要です。どうか、無理のない範囲で構いませんので、能登のことを少しだけでも長く支えて頂けますと嬉しいです。
そして1日でも早く「当たり前の日常」に戻れるように、私も生活インフラを支える端くれとして、出来る範囲で支えようと思います。長々と拙い話にお付き合いくださり有難うございました。